「やりたいこと」に年齢なんて関係ない。前に進むのは、小さな努力の積み重ね。


12月20日に実施したreer〜パラレルキャリアトークライブ〜では、いつも、ライターとして記事を書いて頂いている、宮田政勝(みやた まさかつ)さんにスピーカーとしてお話しして頂きました。

宮田さんは現在本業では営業や研修講師、パラレルキャリアとしてブログや記事を執筆しライターとして活躍されています。

ブログはご自身の夢である”本を出版する”ことへのステップとして、毎日記事を更新しコツコツ続けること、現在なんと1550日以上!今でも毎日欠かすことなく、更新されています。

今回のお話ではパラレルキャリアとして活動するに至ったきっかけや、本業にどのように活かしているかなどを話して頂きました。

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Q パラレルキャリアを始めたきっかけについて教えてください。

パラレルキャリアという言葉を知ったのは、9月のreerを知り合いの紹介で見に来たのがきっかけでした。そこでパラレルキャリアという価値観について知り、自分もそうだなと意識するようになりました。

ブログを書きながら、本の出版を目指していると話をしたところ、reerでパラレルキャリアについての記事を書いてみませんか?とお誘いいただき、ライターとして活動するようになりました。

宮田さんのブログ「ちょいよし わ→るど! 本の音色を聴こう♪

Q ブログを書き始めたきっかけは何でしたか?

僕には「本を出版する。」という夢があります。そのために”今何ができるか”と考えていたのがきっかけです。実は、ブログの前は日記を書いていたんです。毎日一行日記のような形で書いていました。それを発展させたのがブログです。本を読んでいたら”日記→ブログ→メルマガ”の順でステップアップするのが近道と知りました。

それまで日記は1年半くらい書いていたので、次はブログだなと思い、ブログを書き始めました。そこから1日も欠かさず、書いています。

 

Q 1日も欠かさず4年以上書き続けるのって本当にすごいと思うのですが、書き続けるコツは何ですか?

僕の場合は、初めに「毎日書く」と決めていたのが大きいです。夢を実現するための必須条件だと思っているので続けられています。23時59分にアップしたり、ギリギリな時もありましたけど、何とかここまで毎日続けています。(本記事の時点で1551日、2134号)

あとは、周りにブログを書いてる友人がいたらその人とコメントを書きあったりしても楽しいと思います。

僕は、ブログで繋がった人と一緒に「絵本」を作ったりしてますよ!

ブログで知り合ったパステル画作家の”月とうさぎ”さんとコラボして制作しているブログ絵本。

”月とうさぎ”さんが絵を書き、宮田さんがストーリーを考え、文章をつけるという分業で作っている。

パステル絵本「ろうそくの王様」

パステル絵本「はやいのどっち?」(新うさぎとカメ)

 

 

Q ブログでは主に本から学べる”言葉”を紹介されていますが、それはどのような理由からですか。

読んだ本で、皆さんにも伝えたい言葉を「ちょいよしワード」として、紹介しているのが僕のブログです。(ちょいよしとは「ちょいとした良いこと」のこと)

初めは”皆を元気にしたい”という思いがきっかけでした。

なぜ、このテーマにしたかというと、言葉の力って凄いと思っていて、たった一言で人生が変わることがあるからです。

共感した一言にその人の考え方が変わる。

考え方が変われば行動が変わる。

行動が変われば、結果が変わる。

結果が変われば人生が変わる。

言葉にはその力があると思っています。だから本を読んで、共感した言葉や知ってほしいなと思った言葉をブログで紹介しています。

Q パラレルキャリアの良いところ・難しいところは、どのような点ですか。

難しいところは、パラレルキャリアを実践されている皆様がおっしゃられるように、時間の使い方です。

出張や仕事の付き合いで飲みに行ったりすることももちろんあるので、「どうやって時間を作ったら良いか」常に考えています。例えば、電車や飛行機などの移動時間に本を読んだりしています。

あとは、早起きして朝の時間を上手く活用しています。だいたい5時ごろに起きるんですが、その時間を使って本を読んだりブログを書いたりしています。

良いところは、本当に色んなことが知れる点だと思います。

会社にずっといても気付けない世界や知らない世界が世の中にはたくさんあります。それを色々な人と関わりながら積極的に知っていけるのは、パラレルキャリアの良いところです。

本でもそうなのですが、誰かの体験談を見たり聞いたりすると、疑似体験として、自分が体験したような感覚になります。パラレルキャリアは、その疑似体験が空想の世界じゃなく、リアルに近くに体感できます。様々な業界の人から話を聞いたり、経験や体験を自分でも体感してみることで視野が広がりました。

あと、凄くよかったのが、仕事に直結して活きている点です。ここで聞いた話や、UPの方と関わって色々お話を聞いたことを、本業の研修時のネタにしたり、人に教えたりしています。

ライターとしての活動もそうですし、こうやって様々な機会に出会える場所は凄く貴重ですし、失いたくない場所です。

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Q パラレルキャリアで活動していて、必要なモノ・欲しいモノは何ですか?

必要なモノは行動力だと思います。

飛行機でも車でも、動き出す時に一番力を使います。一歩目を踏み出すことができて、ある程度軌道にのればスムーズになるかと思うのですが、そこまで動かす行動力が不可欠だと思います。

欲しいのは仲間です。

自分に出来ないことを補ってくれたり、強みを生かせる仲間が欲しいと思っています。

Q チームをマネジメントする時に心がけていることは何ですか?

チームを作る時は、「桃太郎型のチーム」にするよう心がけています。

「桃太郎型のチーム」illust3607thumb

童話”桃太郎”に出てくるチームは、犬、猿、雉とそれぞれ違う特徴と「強み」を持ったメンバーで結成されていた。

そのように、個人の「強み」を伸ばして、それが活かされるチームのこと。

人の強みを見極めて、それを伸ばすようにする。

例えば「素直さ」が強みのメンバーには、とにかく色々勉強させる。素直なので、どんどん吸収します。その上で、具体的な目標を与える。例えば、「来年このチームの中心人物として活躍してもらう。」と伝えると、それを目指して動きます。あとは、そのための準備として他の人観察して参考にするようにも言いますね。

日本の教育は、弱みを消そうとする教育。

金太郎アメみたいに、皆が一緒の顔で同じような特徴の人ばかりだと面白くないと思うんですよ。

最近、パラレルキャリアで様々な人と出会うようになって、「この人はどんな強みを持ってるんだろう?」と興味を持つようになりました。

Q 最後に、今後の展望を教えてください。

第1は本を出すこと。これは大きな目標です。1年以内に、形にしたいと思っています。そして、キャリアアップにして「人を育てる」ことを仕事にしていきたいと思っています。

インドネシアやトルコなど、世界には、日本のことを「素晴らしい」と言ってくれる国がたくさんあります。だけど、日本人の考え方って”自虐史観”なんです。もっと自分の国について学んで、誇りを持つ人を増やしていきたいですし、伝えていきたいです。

僕が伝えていきたいことの一つが歴史です。歴史からは、本当に多くのことを学べます。

「伊能忠敬」が何をしたか。ほとんどの方は、「日本地図を作った人」という認識だと思います。

伊能忠敬が「どのような想いで日本地図を作ったか」「それが歴史にどのような影響を与えたか」ご存知の人はいますか?おそらく、多くの方が知らないのではないかと思います。

伊能忠敬

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伊能忠敬は、1800年から17年の歳月をかけて、日本全国を徒歩で測量し正確な日本地図を完成させた。

忠敬が地図を作る本当の目的

それは、「地球の大きさを測量する。」ということだった。

地球の正確な大きさを測量するためには、蝦夷地(今の北海道)に行くことが必須であった。蝦夷地は当時、一個人が簡単に足を踏み入れられる場所ではなく、幕府の許可が必要だった。そこで、伊能忠敬が使った理由が「日本地図を作りたい」ということだった。

こうして、幕府の許可をもらった忠敬は測量を開始した。開始した時は、56歳だった。

日本中を歩いて測量し、地図を作りながら、真の目的である”地球の大きさ”を測るための計測も同時にすすめていた。計測地点と天体との位置関係を細かく計算することで距離を測量した忠敬は、地球の大きさ(外周)を約40,000kmと結論付けた。これは、当時最先端で研究していたヨーロッパの国々の測量とほぼ一緒であり、現在言われている地球の外周「40,075 km」ともほぼ同じである。最先端の研究結果と比べてもほとんど誤差のない正確な測量に、当時、世界の国々が驚いたという。

その後、17年の歳月を経て完成した日本地図は、その性格さや精巧さから正式に幕府に認められることになった。

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しかし、地図が完成し、幕府が忠敬の地図を正式に認めた時、すでに忠敬は他界していた。

「忠敬の功績として、世に残したい。」と考えた弟子たちが忠敬の死を2ヶ月もの間秘密にし地図の残りを完成させ、あたかも忠敬が完成させたように装ったのであった。それは、忠敬の名誉のためであり、弟子たちの師匠を敬う気持ちの表れでもあった。

このように、忠敬は天才かつ努力家であり、その人間性から人望も相当厚かったのである。

その後、欧米の国々が植民地拡大のためアジアに進出するようになった。

日本にも訪れるようになり、上陸しては、各地で測量を始めていった。勝手に上陸し測量を始める外国人にたまりかねた幕府は、忠敬の作った地図を渡すようになった。

それを見た人は「日本人とは、これほど正確な地図を作れるのか!こんな民族は、他にいない!素晴らしい知識と技術をもった国だ。」と一目を置くようになった。

かくして、日本の独立は保たれたのである。 

忠敬の作った地図と測量にかけた想いは、多くの人に認められ、日本を守る結果に繋がったのである。

写真引用:千葉県香取市 伊能忠敬記念館HP

歴史の偉人から学ぶには”想い”を知ることが大切です。”想い”にこそ、その人の人間性が現れ、皆さんが学ぶべきことが多いと思うんです。学校ではほとんど”想い”について触れません。いつ、何をしたか暗記させるぐらいです。僕は、この”想い”を伝えていけるような研修や教育をこれからしていきたいと思っています。

伊能忠敬は50代から夢を追い、カーネルサンダースは70代から事業を初めて成功しています。

僕もまだまだこれからです。夢を叶えるために顔晴ります!

まとめ

理想の”お父さん”を絵に描いたような宮田政勝さん。いつも面白い話を聞かせて頂き、UPがとても頼りにしている方です。

また、本業で多忙であるにも関わらず、パラレルキャリアとして日々勉強を欠かすことのない姿勢と行動力には、若い人達が見習うべき姿があると思います。

今回も急な依頼であったにも関わらず、大変有意義なお話を聞かせていただきました。

当日は、「読書術」についてや「歴史」についてお話をもっとして頂いたのですが、記事の都合上、割愛しています。

宮田さんのブログをお楽しみください。

宮田さんのブログ「ちょいよし わ→るど! 本の音色を聴こう♪

写真撮影:岸裕亮


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